ケッパーケイパーチリペッパー

なんかとなんかをつなげて幸せ

議論は不必要な作業である。

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関係のある出来事とない出来事は
日によってまちまちである

親戚がなくなった場合死が身近に感じられるなんて心境になるし
怖い話を聞けば暗闇が怖くトイレに行けなくなったなんて話は
もはや常識だろう。自分自身がなくとも女性の反応として一般的な
ものであったりする。 ある いや男でもあるのだ

友人はいい内定をもらっていて「不況だ」などと嘆くのも
久々に合った知り合いに「お前まだあの会社にいるの?」と嘆かれるのも
仕事仲間に「B型の人って自己中心的でムカつく」と笑われるのもそうだ

怖い話を聞いてトイレが怖く感じる
あの心境なのである



文章にかかれない言葉が存在するというのは
文章読解というものを教え込まれた時に教師が言うテンプレだが
書かれないのはわかったから結局何が書かれているのだ?
という質問には大人になった今でもわからない

私以外は人間の心が書かれているんだときれいごとをぬかすが
得てして美辞麗句が口から垂れ流されるのは制御できない
緩い口元が原因であり そのもののいい面しか見られていないからこそ
笑みが絶えず油断の限りを尽くすわけで

つまり話している出来事の恐ろしいことは決して理解されていない、と
まぁ褒めてる時はみんな嘘つきなのである

心境と言葉が合致しているなら事実を曲げているし
事実と言葉が一致するなら自分に嘘をついている
綺麗な言葉は馬鹿のもの

とどうして誰も言わないのか疑問ではある
(お前が間違っているからだと思う)



怖い話、自慢話、愚痴、親愛、共感、が
自分を否定している様にに見えてしまう出来事が
どうしたって排除できないから

人間には心があると言われている

ならば私は幽霊を作ることもありもしない金を作ることも
もっと自由にできるべきだと思うのだが

どうしたって自分の話している話を
反射的にクラスタとしてみることができないのだ