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なんかとなんかをつなげて幸せ

漫画の描き方作り方 妄想上手は書き上手

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名を売るだの金のためにマンガ描いてんじゃねえんだよ!!!
という言葉をご存じだろうか

漫画を描くということを自分でやってみようとすると
それはそれは恐ろしい膨大な作業量だと考える人間と
どう書いたらもっと漫画がおもしろくなるのだろうかいつも考えて
しまって眠れないという人間の二つにわかれる

もちろん超大雑把にわけて


膨大な量の作業だと考えるのに共感すると(自分でも同じ考えを
別の言葉で言い表せることができる程度に)
大体、そのマンガを描く手が止まらないことにはなりえない


イメージとしては参考書一冊分を毎回理解する努力が
たったマンガ1話分に相当するのに対し
物語を完結させるための納得いくプロットも考えなければ
ならないというとんでもない話だからだ

10冊近くある参考書を解く時に
内容も知らないその本棚を納得いく順番で並べろと言われている

そりゃ巻数が付いてれば話は別だが
残念ながらそれは小学受験~面談の手順にいたるまでの
意味不明なクトゥルー真っ青の蔵書群である


考えれば考えるほど気が滅入る
絵が下手だとせせら笑っていても私より根気があった

そう思わざる負えなくなる


実際、この思考を実現しているのは脳のせいだ
脳の仕組みが私の思考を邪魔している

論理的に考えてそうだ
もし実際にマンガをどれだけ下手であっても完成さえすれば
私よりも根気よく物を作ることができるのだと言えるのなら
またそれをしないことも根気であるという理屈に反する


思わず屁理屈になってしまったが
否定ができるできないはともかくその邪魔している脳の作用とはこうだ
もともと頭の中では感情によって決定されている事実が存在し
それは話題に一切影響されず言葉で分別したものに影響されない

感情だから当然だろうと思うだろうが
これはよく考えたらとんでもないことだ


日頃何気なく口にしている
丸丸しない理由と頭の中に浮かぶものはすべて間違っていることになる

物理法則なんてのたまうのも またそれを人から教えられるのも
その根拠はまず感情から入っていったものであり、
それはその個人の経験によって常に変化し続ける

同じ物理学者がいても
彼らの分野によって、その日食べた朝食によって
その直前の動作によって「初歩的な物理学」の意味は変わる

教育という考え方の前提情景はすでにひっくり返っているのだ
教育要項はただ教育の共通点であり
それを語ることが教育になることはない


漫画もそうだ
絵を描いている心境さえ楽しいという条件付けをして
その人間になりさえすれば、決して根気というものは必要にはならない

絵がかきたくてたまらない

専門学校の隅で変なポーズをとりながらアイスクリームを咥えた女を描きたくなるものなのだ