ケッパーケイパーチリペッパー

なんかとなんかをつなげて幸せ

舌切り雀はおしゃべり雀 舌を切られて雀は死ぬが 切られた舌が喋り出す

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皮ごと食べられるぶどう

巨峰とマスカットとお好み
私はマスカット派だ

このぶどうの実のようなものだと私は時々思う
なにがとは言及せずともブドウの実のようなものだ

このブドウの実のようなものと聞くとなんとなく想像はつくだろう
芯のある下向き三角錐を大きさを等しい球体によって房状に形成する
もしくは実があり皮がそれを覆っている

大半は上だ
後者はぶどうを食べているか最近ぶどうを食べたか
ぶどうを楽しみに生きているか


言葉というものがうまく出てこないという時期がある

私はそういう時、大抵人を突き放して愉しむ悪い癖があるようだ
時にひどい言葉、ひどい態度、相手の話すことに興味を示さず
上の空で返事をする。 そういう意味じゃあ大抵私には
私を好意的に思ってくれている友人が周りにいるということに
なるわけだが、私はそれを定期的に突き放して離縁してしまうらしく
久しく交友関係というものにありつけていない


最近の若い人はみんな友達が少なく、恋人がいない
なんていうのがステータスになっているようだから
珍しく半端者ではない方に私はいるようだ

とはいえ、初めからできないのだと信じ込んでいる彼らと
長く続くと突然しゃべるのに嫌気がさして
相手の好感度耐久テストを始める私と
同じだとは決して言えないだろう。


だが存外 友人関係を捨てただけの意味はある

この話すのが嫌になったという名目で
相手の顔色を窺わずに嫌がるであろうことを言い続ける行為

やってる間はまるでもがいているようなものだが
実際はもがいているのでなくて相手を溺れさせている

確かにもがき苦しんでからやっとの思いで水面に上がった時
相手がぐったりしていなくもなかったような気がする
みたいな状態を続けている

そうやってるとある時ふとサスペンスでモルダーに追われている
連続殺人犯をみて思う


「彼は自分を守るために殺しているんだ」

というアレだ
パニックの状態で儀式殺人をしないと死んでしまうと思っているとか
「デクスター」を例にとるなら
殺人には儀式のルールがあってそれを外れることはあり得ない


私が人を突き放している時に相手がぐったりとしているのは
もしや相手にとって心に傷を与えているのでは?



まったく気が付かないうちに殺人を犯してしまっているとは
こういう気分なのだ
何度となく書かれる苦しんでいる連続殺人鬼は

こういう気分で人を殺しているのだろうと思える
フリンジでも相手の骨髄すすらないと死んじゃうおっさんがいた

今までわからなかった彼らの悩みは
こういうことだったのだと実感する

これが僕の交友関係を殺して得た経験だ


なかばヤケクソなのは横にして
とにかく言葉が出てこないこんな状態をなんとか治さにゃならん


今回は収穫があった
被害者いわく「最近のお前は冗談がよくわかっていない気がする」

元気な時は冗談のわかる人間だと信じ込んでいてくれているようで
とてもうれしい。 とはいえ彼にはひどいことを言いまくった気がする


冗談がわからないというのは
なんともよくわからない表現だ

冗談のわかるという事自体普段から
想定が一切できないある矛盾をはらみ続けている

冗談を言う時はもちろんその冗談以外が本気ということになる

本気で話している出来事は真に受けなければならない
冗談で話していることを真に受けてはならない

つまりこれは本気の時には正 冗談の時には誤
という2択クイズというわけだ

また、
相手が冗談だと思っているか冗談ではないと思っているかによって
同じ言葉であってもその意味は変わる

つまり冗談は相手が正誤どっちだと思っているでしょうか?という
クイズに変わるわけだ


冗談がわかったらエスパーになれると私は思う



私は普段冗談を言うのは好きではあるが
決してわかってもらえないことを想定はしない

相手に冗談を言いわかっていないなとは思わずにただひたすら
相手がわかったような口を利くまで冗談を言い続ける

相手が笑ってもやめずに言い続ける

つまり冗談しか言わないのである


だから、冗談がわからないという時の心が私にはどうしてもわからない
普段は冗談がわかると認めてくれていたとしてもイライラする


バックグラウンドはどうでも
とにかく「冗談がわからなくなった」ように見えたのは確かだ

そんなに深い意味の言葉ではないにちがいない
この深い意味の言葉じゃないというのも私は大嫌いだが

どうやら言葉が出てこない時というのは
私が相手に愛想よくしようという気がまったくない時らしい

そりゃ話すより考えたいと思い続けているわけだから
当然話さないことになるわけだ

話すのが嫌いになったのではなくて
話すことを想定していない考えにズレただけだ

考えている間は話さないのが私の常だから
考えたいと思っている間は
話したくないという考えも同時に口から出てしまう

だが私は話したくないと思っているわけではなく
ただ「話したくない」と口に出してしまうことになるわけだ

思考の惰性である


ブドウの実と皮で思慮は結われて外れないってことを喩えようと
初めにぶどう食べてる話書いたのに
まったくわすれっちまったい