ケッパーケイパーチリペッパー

なんかとなんかをつなげて幸せ

プログラミングは感覚を利用しないのだろう

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プログラミング言語をリファレンスから逆引きしたり
必要なものを探したりするときに
そのクラスだの巻数だのを読んでからその使い感覚を
なんとなく知っておこうと流し読みする行動のなんと無意味なことか

いままでそれをやり続けてきたからこそ分からなかったんだと
自己完結してしまいそうになるほどである

書かれているライブラリにしろコードにしろ
プログラミングに必要だと思われている文字群は
いくら読んだところで感覚によっては理解できない

理解するのは機械の方である情報しか書かれていないからだ
たとえば巻数呼び出しにしたって
ああこれで関数を呼び出すのだとその文字列を読んで覚えて
丸暗記したとしてもそこから読み取れるのは
機械が関数を呼び出すイメージだけであり
書く打つ走らせるわれわれには全く影響しないものである

機械と一緒になって関数を呼び出す機会は永久にない

だからコード読んでる時に機械と一緒になって
そのコード進行をなぞっている場合ではないのだ


何か作りたいことがある場合は特にそうだ
作りたいものの使用感を真っ先にきめてかかって
何か作ろうだなんてつい考えてしまう

このソフトはこのボタン押すと誰か嫌いなやつがいなくなる

なんてソフト設計から始めてしまうことはあり得ない
まず最初にそのソフトが感覚を一切利用せずに
得られる印象に気が付いてから作り始めなければならない

操作感とソフトジャンルは全く干渉しないものである

だからまずチーズを作るにしたって
味わいを濃いのか薄いのかコクがあるのかぱさぱさなのか
食べる時にぼそぼそさせたくないとか溶かした時に乳臭いのはいやだとか
そんなこと考える前にチーズはどう売るのか決めるべきだった


近所に配る もしくは一人で食うつもりだ