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なんかとなんかをつなげて幸せ

どうせ老いる

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老いてしまうのならば物知りであるという老いを経験したいものです
アガサクリスティーの書いたミスマープルのような
謙遜してはいるものの知識が若者をもてあそぶ


たとえばマープルは生きている頃と言えば
ちょうど第二次大戦の終了直後 息子が戦死し 夫には先立たれて
独り暮らしという具合の老人が一般的であったが
そのころの若者ときたらどうしたって
その直前に起きていた戦争の原因を悪く言うのが一般論であった
ナショナリズム コミュニズム モダニズムというカタカナが
多くの事象を言葉にしてしまう


つまり辞書なしには彼らの言っている意味がわからない
専門用語を使うのが若者の知識の権威を決める時代だったのだ
今でいうソーシャルメディアのフレンドの数と同じようなものだ

それそのものに価値はなくともどうしてもその価値のなさを証明
できないが故に暗黙の了解としてそれが地位へと向上する

人間の盲点を観察するうえではなんともかぐわしい

大抵年齢を重ね老い経験を積むとそう言った理屈は
理由がないという理由だけでそれぞれ固有の無意味にすがるようになる

老いると価値観が多様化する良い例だろう


ある意味では私達から見た場合の「若い子供っぽい」というレッテルが
若者たちの地位を決めるカタカナ名称の知識量という偶像と
同じ機能を果たしているに違いない
もっとも、利用されないからこそそれが精神年齢を決める
ラインへと変化していくことなのだろう

そう どの年齢においてもその無意識な偶像というものは
一切顧みることをしないものなのだ

もちろん若者の流行り廃りに関しても見ることはないだろう

いまですらそういう見方しかできないのだから

が、マープルはそれを指摘もせずに相手にわからせる
若者(戦後まもないから私にとって確実に年上)が自分の家に招き
マープルが家を見回すと若者はもちろん自分の権威を示すのが日課に
なってしまって気が付かないうちに家の説明をしようとする

「この家のテーマはミニマニズムでしてシンプルさというものを
貴重としているんです。最近の家はシンプルということを忘れてしまって
使い勝手をよくするために複雑化しすぎるがあまりに逆に使いにくく(ry」

というように若者同士ではなるほどおもしろい話だと続けていくような
そんな話を条件反射で続けてしまう

現代においてもそうだが若者が若者に話す風に
歳が離れている人間に話しかけると全く話が通じない

少し若いオールドシルバーならば苦笑して通じていない顔をするが
マープルはもう70近く 彼女と同年代程度になると
話すことをあきらめた風に自分のテンポで自分の好きな話を
相手にかぶせようとする
いや自分勝手でない人にしたってわかっている気になってしまったまま
はなしを続けるものだからどうしたって自分勝手に見えてしまうのだ

マープルも同じように相手の言うことを理解したように返すわけだが
彼女は一言
男「この家のテーマとなっているのは…」
マープル「ミニマニズム シンプルでとてもいいわ 勉強になります」
こうである
謙虚さは鼻にかかるコトもあるがまったくなんとも小気味よく有識だ

なるならああして老いたい
文句ばかり言ってしまう私には無理な話だろうか