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なんかとなんかをつなげて幸せ

並べたものと規則性として保存されているものの観測点の共通化

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人間の目からも学習や経験の根拠を述べよと言われると
それは想像するには薄くなる。
学習や経験を蓄積したものの結果として根拠が述べられるようになるためにその根拠そのものの根拠はなにかと問い正され続けると命題から外れる


子供を相手に押し問答されていると考えると想像に容易い。
その会話は相手が「なんで?」としか言わないと仮定する事と同義だ。
つまり「なんで?」という疑問文を作ると不和が生じることが
規則性に対する並べたものであると言える。
根拠なく学習したという結果である。
規則性に根拠は必要ない。ただその制限場が広がるか狭まるかのどちらかである。
では並べてできた規則性と文字にされた規則性が一致するために
必要なものとは一体なんであろうか。

【並べたもの】横断歩道
「規則性」白黒 縞模様

プログラムの最小命令はこの表記である。
データとしてこの3つを記入しなければパソコンはこの事実に辿りつかない
だが人間はこれを結びつけるシステムを持っている。
この場合並べた物として横断歩道を例にとったが
横断歩道は一つであっても問題なく並べられたものに属してしまう
ワードとしてはっきりしている。曖昧と言葉に一定の規則性がすでに固まっている状態にあった場合にはそれが1つしかなかったとしても
規則性を呼び出すことに成功しているという裏付けである。
並べた物と規則性の共通した観測地は人間には存在していない
あるとすればその規則性と言葉を非常に曖昧にしたなにかがあるということだろうか。要するにこの情報だけでは横断歩道1つも理解させることはできないということだ。単語1つに対して9つ程度の別の単語が必要になるわけである。これは加速しなければ空を飛べないというくらいの負荷が必要なのに似ている気がする。嫌なイメージしかない。