みみざわりん
新しく勉強を始めるとすぐに人に言って回るのをよく見かける。
聞きながら毎度の事すごいなと思う。
女性の場合には言ったら大体見てる側が飽きるまでやる人が多く
勉強を始めたという言葉にリアクションを求めてはいない。
アドバイス(老婆心)すると本当にその通り。聞く耳持ってないのだ
と思うとしっくりくる返しが来る。
アドバイスが悪かったのかな?と思っているソレ。 それは相手のきょとんとした感じをわからないからではなくなに突然自分語りしはじめてるのかわかんないに変えると納得がいく。悪いのはあなたの能力じゃない。
無知が罪なのだ。
またこの新しく勉強始めたという言葉は
これが男性になった場合ひとつも続かない傾向にあるのだ。
もちろん金銭的援助や知識共有の申し出、普段から接点が多いため
教材を見られてしまったなどの場合は除外する。
つまり、twitterでの勉強開始宣誓はこれに当たらないため
ほぼ確実に続いていない。
ネットだと性別の境がないため判断がはっきりしないのは変わらないが
しかもブログに対して話しかけている場合にはその対象外である。
これは打算によって勉強をはじめたかそれとも、という考えの差を
観察する方法であって 残念なことに未来予測定規ではない。
ただ男性が打算的だなどと見られるのは一昔前の小説にはよくある
表現で、女性は話にオチがないともよく考えられがちな意見だ。
どちらも一面的な見方でしか使えないものばかりだから
男性が金より人情をとることも女性コメンテーターもあり得る。
それでも一面だけは当たっているのだとしみじみ思えるネット現象だ
そういえば最近processingを始めると宣言した男性を見かけた気がする
不思議なことに鏡の中にいた。