私が押し問答している
ブログを書いている間中私は仮定を並べつづけ
最後に~~でなければならないと好き勝手に言い散らかしているわけだが
今までは自分がどこか変に屈しているからこんなことばっかりしか書けないのだろうと
そう思っていたのだが、どうやら違うらしいことがわかった。
これはどうやら論理学らしい
もちろん低レベルの。
フォルダ分けの方法論や例え話、中身を知らずにその構成を外から考える
などと言ったでしゃばり屋はその愚かさうんぬんはおいておいて
すべて論理学なのだそうだ。
ということでまるで私みたいな文章がずらーっと並んでいる
「論理学」というものについて書かれている本を買ってきてみた。
題名は「論理学について」という。
名古屋大学の戸田山和久という人が書いたらしい
後ろから読んでみたところとんとわからなかったので最初から読もうと思う
どうやらこれによると私は最終的に記号で会話するようになるみたいだ。
いわゆるキレイゴトと言われる
どんな状態でも正しいと言える偽善者丸出しの空想論と並べればきりがない誹謗中傷は
この本の中じゃ形式的真理の一言で済む
意味さえ通じればどんどん使っていきたいのだが
たぶん相手には不快感のかけらも伝わらないだろうと思う。
∃X[∀x∀y∀z((XxyΛXyz)→Xxz)Λ∀x∃yXxyΛ∀x¬Xxx]で意味が通じるらしいんだが
ヴォイニッチとかロゼッタとかそういうのに書いてありそうだ。
おもしろそうなのでこれで表せる限界を学んでみようと思う
どうせ数式みたいな曖昧な意味だけしか表現できない
定義のはっきりしない大雑把な表現だけの言語なのだろうとは思うが
どうやらこれは言語を作る言語として使えるようなので楽しみだ。
なにより著者が映画ファンなので例文が面白い