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なんかとなんかをつなげて幸せ

論理学ができるとまともに本が書けなくなる

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なにやってても行動はいつだって癖になってきて長時間やっていると
同じことを繰り返していたり、そもそも問題になってないはずのものを問題だと考えだしたりする。


だから何かにつけてレッテルを張る。
真夜中まで起きている人でまともな人間はいないみたいな書き方をすれば
文章を書くことを日課にすると「冷静に判断できない病」にかかるとか記者ぶってみることになる。

冷静に判断できないのはなにも文章書くことだけじゃないだろう
と根拠を「冷静でないのは行動継続による集中力低下のため」だって思いながら言えば
「文章書くのに限ることに意味がある」と考えることだってできる。

それでも実際人に言って反論される場合は
「学生とか冷静な判断できてないだろ 馬鹿かよ」なんて聞かされる。

学問(論理学)の参考書というのはそのどれでもない意見で
わかりきったことばかりをただ淡々と並べ立てて少し飛ばすと知らない世界になっている。

読んでも読んでもくだらないわかりきったことばかり書かれていて
一向に結論に辿りつかないものだから次に何を言うのか全部言い当ててやろうと思って読んでいたら
案外できなかった。 それならば、と書かれている出来事の無意味さが積み重なることが論理学そのものに
つながるのだろうかと思い最初の文章と最後の文章だけ読み最初の文章をもう一回読んで
しばらく関係のない作業をしてから自分にこれは全部論理学だと思いながら最後の文章を読んでみると
すんなり行ったような気になるのを発見した。


すんなりは行くのだがこれは普通に読んだ方が早いと気が付く
一項につき大体10分かからず読み終わるのに対しこれだと読了する文章の数が少ないものの
作業の熱中度によっては30分かかるのだ。

割に合わない   それに覚えられる内容も薄い


それにしたって項から項へ移る話題がとんでもなさ過ぎる。
内容は理解できるがわからない。
超千億兆万2倍のJust may have am I Cool.みたいな感じだ

個々しかわからない

「2種類の宣言」のあと次の項で「→について変だなと思うあんたは偉い」
とかかれて居たのならば2種類の宣言での疑問ではないかと思うだろうが

この項は完全に独立して →についての記号の内容を説明している。
記号が出てきたのは第一章であって今読んでるのは第三章
ロングパスどころじゃないボールが2つある試合になってようなもんだ。

ちなみに今16個くらいで試合をしている。
3章でそんなに狂った説明だから全12章のこの本を読み終える頃には
選手よりボールが多いのは間違いない。5章ですでに22個目のボールが投げ入れられているだろう

記号の由来とか8章目くらいに説明しだしたら火にくべてやる

本が害悪の渦で人の精神に有害な影響を与えると言っていた時代の気持ちがよくわかる。