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なんかとなんかをつなげて幸せ

あなたもわたしもフェルマー

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群論は不規則に見えるものから何が起こるかを
予測するために群であるかそうでないかをまず決めると思っていたが、そうではなくそこで何が起こったかを
記録するために作られたものだったのだ。


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※組みひも群では単位元の積という形で紐の絡まりを式にすることができる。


要素1つをまとめて式にすることができる。
つまり、普段見ているものを分析し表現すると
それはおそらく群になるといえる。


それを確かめるのが群論の楽しさなのだ。



【拡大体と体】
体は本来四則演算によって表現されるものでなければならず、日常で観察したもので式にならなかったのならば
それは決して体にはならない。

だが、式は複雑になれば群を持つようになる。

足し算とか積とか行列とか因数分解だとか

拡大体は体に元を付け足すことで新しい体を作ることだが
これは組みひも群のような形を探すのによく似ている。

普段見るものは拡大体と体になるか群として説明できるか
そのどちらかだ。

数を数えたいと思えばおそらくそれは体が思考内にあるだろうし、相手に感じた好意も悪意も拡大体を作っていくことになるだろう。


群論と体論って感情をDB化できるんじゃないかな

ガロア群論
群論って全部ガロアがつくったもんだと思っていたけれど
実際はガロアは言葉に特化した群論と数学に特化した体論

ちぐはぐになってしまった2つをまとめた人みたいだ。


自己投影写像だとかガロア拡大と名前は複雑になるが
要は群や体が群を作ってしまうことを利用したのである。


私は思いついてもAI作って僕の彼女にするのというささやかに思いつく。
だがガロアは度の行き過ぎた決闘家のようで
5次方程式9次方程式 10次方程式と
解いたら人生がつまらなくなるんじゃないかなと思うものを解くのに使ったようだ。


10次方程式を解けるってことは宇宙が11次元だって言ってたからまぁだいたい銀河ひとつが分かった気になれる。

「宇宙怖い」じゃなくて「人生怖い」が彼の言語だ。

累開冪拡大体の行列なんてまさにそんな感じ
小さくなったはずなのにどんどん大きくなっていくコワイ