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なんかとなんかをつなげて幸せ

脳が筋肉に似てるなら筋肉なくても運動ができるんじゃないか

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昨今脳は筋肉と同じで使わなければ衰えていく
という言葉がよく使われている。
筋肉みたいに鍛えれば脳の機能は普通よりも早くなる
人の脳は平等にポテンシャルを持っている。

ポテンシャルは(潜在的)って意味だそうだ。
マウスの壊れるポテンシャルとか僕は婦警さんと仲良くなるポテンシャルを計算するとか日々使っていきたいと思う。



ともかく脳が筋肉みたいなら
筋肉は脳みたいだというわけで。


筋肉トレーニングの頭をおかしくするというもっともな理由から僕は非力の道を辿っているわけですが
記憶と同じならもしかして苦痛を伴わない筋トレが
存在するのではないだろうかと思うわけです。


つまり、筋肉にも位置記憶とエピソード記憶がある。
言語野と記憶野といろいろある

だがこれはただの区分だ。


通常の筋トレは低負荷のトレーニングを毎日欠かさず
2時間おきに繰り返し合計1時間になるように続け
3日に1度高負荷の達成できないであろうトレーニングを
限界まで実行することで成り立つ。

脳を鍛えるためには本を読む
何度も何度も同じ文章を読む
これはおそらく通常の筋肉トレーニングに相当する。

だから、脳で最も重要な「考える」という瞑想みたいな
筋トレがあるはずなのである。

例えば「手の第2関節から上だけを使ってコインを人差し指から小指まで運ぶ」みたいなトレーニング

それを全身で。

全身でコインを運ぶ運動? 

移動距離を大きく増やす運動という意味であるのかもしれない。

筋力を考えで補うのに近い。

筋力に無関係に効果を催すばねと同じ効果を持つ。
それはつまり筋力に力を入れるタイミングのことじゃないだろうか。

なにを意識してどんなイメージで筋肉を使うのか。

それが筋力を不要とする運動パッケージであるのなら
どうやってか記録し読み込みを行う方法があるだろう。

今のところ運動のリズム感というものを記録するのは
”才能”とモーションキャプチャーってところだ。