ケッパーケイパーチリペッパー

なんかとなんかをつなげて幸せ

デッサン崩れが作りたい!

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机が並んでいる行列が次第に歪んでいく様と付属物

上から釣り下がる蛍光灯の列と対面する机の列、と残り

並んだ窓枠の前を蛍光灯の列と机の列が前を列車のように横切っている




実際は一番手前に書いたものを奥に羅列していく
パッケージされたデッサン方法である。
それでもその作業の中にデッサン崩れが起こる。



絵を描いていて私はいつもデッサン崩れよりも
描かなさ過ぎて首が棒に見えたり
頭にかわいらしさが足りなかったりに悩む。

一方デッサンで崩れているものは
崩れてはいるものの決してその動きを
表現しきれていないことがない。

デッサン崩れには人間性と引き換えに感情を感じる。


描き足りない場合には完成形から目が離せず
委縮してしまっているのが原因だろうが
デッサン崩れを起こしてしまう場合
なにに気を取られて形を崩すのか。


デッサンが崩れるとき
例えば手を書く場合には
指は5本生えていると考えている。

これで発生するデッサン崩れは
5本とも同じ長さの指だ。
それをそのまま手首につなげようとするから
見るに堪えなくなるわけで

自信をもって指の次は手の甲があって手首
ひじにつくまでなんとか筋が2つくらいあって
なんて書くとおそらく感情ある絵になる。

手だけ。



体全体にデッサン崩れを広めようとすれば
手首を考える時と考えないときが出てくる。

デッサン崩れの入り方はどこにあるのだろうか
デッサン崩れっていうかキュビスムかもしんない

↓うらやましいデッサン崩れ

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