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なんかとなんかをつなげて幸せ

TodoもしくはTweetを利用した人間をタグ付けして迷路を作る

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Todoは先行した事実
Tweetはすでに行われた行動ではあるが
この2つに共通するのは抽象的な人間の
行動の言語化というものが必ず行われることにある。



Todoを集約しそれを組織化するためには
個人のTodoが何を目指しているのかという
動機付けが必要になる。

この場合の動機は人間関係から逆算されるものではなく
行動を具象化した結果であるため行動への定義は
常に無意味になる。

カップを持ち上げてのもうとする時の
指をひっかける行動のようなもので
結果カップを持ち上げる動作につながる
関係を築けるこれを言葉にする人間はいない。


これをTodoの集約所で言葉にして振り分ける
ことによってその行動が成す結果が作り上げようとする
具体性を破壊し再構築することでなにが起こるのか
正確に把握した言葉に変えようという目論見である。


tweetに対しては先に何がおこるか
ではなく何に対して何を思ったのか
という言葉が行動全体からみたその人間の
ズームされた行動であるといえるため
Todoの集約と同じような成果を結ぶことができるだろう。



これはものすごい短期の予想を集約しそれを
整理する方法である。例えば5+5は10になるんだ
という1動作があった場合5と5の境界がなくなる
程度の一瞬、むしろ刹那に近い考えの整理である。

フロイト的な分析方法であるため
機械に任せる場合には心理構造として
自我、超自我、イドとして分けたら任せられる?


文節の入れ替えと言葉の言い換えによって
別の文章でまとめることができるという
確証が必要だ。 人間の手による
分析であったとしても存在するだろう
言い換え方の機微の種類を知らなければなるまい。

この時文章の段落同士が意味をなしていないことを
無視することができるので文章作りのより
正確な観察というものができるだろう。

作っている観察対象が自分だけというのが不安だが。