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なんかとなんかをつなげて幸せ

話さなくても大体わかる「息をするように嘘をつく人間の香り」

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心を病んでいる人間にはよくあるような印象を
受けてしまう「息をするように嘘をつく」という行為。
私たちは彼らを「嘘つきだから信じない」と切り捨てる

実際には嘘を付けない人間の方が病んでしまうものだ。

息をするように嘘を付けている場合には
むしろ健康な心でいられる。

そいつは健康かもしれないが聞いているこっちの心は
不健康になっていく気がしていく、たまったものじゃない

嘘をついているとレッテルを貼って思い出さないように
するのはそういう僕らの精神衛生を保つ行為なのだ。



だがイライラしたからというだけで
あいつは嘘をついているだなんて決めつけるわけにも
いくまい。それこそ嘘つきの上をいく自分勝手というものでしょう


どいつもこいつも嘘つきで世の中信用ならない奴ばかり!
なんていう政治家か金持ちみたいな心境にならない
ために嘘つきを自分の嫌いな人間の特徴に置き換えて
しまうことだ。

合わないし、理解できない
価値観が違う、恵まれている


そういった憎しみを正当化した記憶を
探し出してみてみると
思ったよりもそういう人間には共通する
気持ち悪さがあるものだ。

だけれどそれは説明できない。
なぜそう言ったのか。
なぜそんなことを言うのか。

まさに個々が感じる妬みと僻みという心であるが、
そんなことを感じちゃいけませんよだなんて言われて
「開いてた悟りがあったんで拾った。人類皆兄弟」
てなわけがない。


その妬みの理由が持たざる自分にあるからと
思い込まないで「あいつは嘘をついている」
と思ってしまうことだ。

どうせ相手が持っているものは自分の利益に
響かない。はじめからアテにする意味もなけ
れば考えが一部でも同じでないのだから
参考にするのも意味がない。

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だから息をするように嘘をついている。
と思ってしまうのが一番いいのだ。

そいつが近くにいようといまいと
感性が違うのならば私は私の思う成功を
無関係に得失するだろう。


息をするように嘘をつく人間の香りは
自分の発する妬みといらだちの香りだ。

反省せずにそいつらを信用せずに生きるのが幸せへの
近道であるといえる。