ケッパーケイパーチリペッパー

なんかとなんかをつなげて幸せ

これほど蝙蝠をいとおしく感じたのは生まれてはじめてだし

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私はものすごい勢いで成長する方法に確信があった。
数日すればたくましく成長する方法だと感じていた。
なにに使うのかはわからないが
アリと蝙蝠を短時間で成長させることができるという
確信をもって私は仕事机の足置きスペースに
結構な量のアリと数羽の蝙蝠を段ボールを使って囲った。
蝙蝠もアリも静かにそこに収まっていたので
私は部屋の電気を消しにいく。
部屋の電気を消すと窓から日差しが入っている
私は急に蟻が外に出てくるんじゃないかと不安になった。

机の下を見てみるとさっきよりも5倍くらいの大きさになった
蟻が案の定互いに互いの上に折り重なって高い壁をみるみる作り
段ボールの仕切りから出てきそうになっている。

蝙蝠が食べてくれやしないかと懇願する思いで見ると
食べてくれてはいるのだが食が遅い。


蝙蝠に頼るのはあきらめ蟻が外に出るよう窓を開ける。

あまりに来るのが遅いのでその間数を減らす努力をしようと
素手で外に出てきた幾匹かの蟻を叩いて殺す。
感情的ではなく機械的に拳を下すように心がけて潰した。

机の上のアリを潰したため足元に視点を移すと
目を放していたその間に蟻はものすごい量に増えている。
スプレーとライターで焼き殺そうと一瞬思い振り払う。


部屋の隅に行ってへたり込むがいつのまにかそこまで来ていた
アリが私をチクチクと噛みまったく減る様子を見せない
アリが腕だけではなく右半身にまんべんなく異物感となって
這い回るようになった瞬間、私は目を覚ました。



これはただの夢の内容だ。
だが夢の内容は潜在意識を投影した貴重な情報源でもある。
今の自分がなにをストレスに感じてどうしたいのか
確認するには絶好の機会だ。 それが悪夢だった場合起きた時ドキドキするし
夢の内容はより詳細に記憶しておくことができるので好都合だ。


私が夢の中で夢中になってなにかを成長させる方法と思い込んでいるのは
ここ1月程度続けていた辞書や生化学・理科学用語
の記事を書くということについてだろう。

なにか変化していくものを成長させるためにひとっところに集めて
閉じ込めることで大きく育つことというのは記憶に有用な知識を入れ、
新しい考え方を得る丸暗記する学習方法に他ならない。

その行為を一度やめ、ついでに辞書について書く日課をやめた私は
夢の中では電気を消すために机の下から目を離し
移動したという形で夢の中へ落とし込んでいる。

夢の診断では蝙蝠は恐怖の対象、もしくは幸福のシンボル
だと言われアリは勤勉の象徴で、そのアリに体を這われるのは孤独を感じている
という解釈がほとんどなのだが、

今回のアリは知識や覚えていられた記憶の役だ。
蝙蝠は知識から得た新しい物の見方を象徴している。

アリは時間とともに箱の中から逃げ出そうとし
蝙蝠は箱の奥で逃げようとしない。
記憶は時間とともに逃げ出すものであるということを
まさにこの夢では謳っているのだ。

途中蝙蝠にアリを食べてしまってほしいと
思うのは知識を蝙蝠(新しい考え方)に変えてしまいたい
という欲求だろう。
つまり私は記憶が考え方になれば決して忘れないと思っている。


その後窓の外に出そうと私はするが
夢の中で私は潰そうとしたアリがまともなアリの
形ではなく作り物のように感じている。

部屋から出してしまおうとするのは
知識が間違ったまま記憶されているという
恐怖心の現れだ。

結局忘れてしまおうにも間違った知識は
そのまま部屋から出ようとはせず
あきらめてひとつひとつ潰しにかかる。


だがこの時アリは数を大きく増やしてしまうことになる。
すごく増えたと思ったのは蝙蝠までアリに代わってしまっている
ためである。 スプレーとライターの簡易火炎放射器
全部焼き殺そうという発想はさっきまで頼りにしていた蝙蝠
がいなくなってアリになってしまったからで
即ち「知識」と「ものの見方」が混同されてしまって
混乱しているのだ。

実際現実では効率のいい記憶の方法を考える事と
記憶して頭に残っている知識が混ざってしまい
考える事を機械的に行う状態が続いていた。

それが夢の中では機械的にアリを潰そうと
心がけるという形で投影されている。

結局私はその間違った知識と間違ったものの見方に
追い詰められて噛まれたり這われたりする。



これは得意になって知識を披露した自分への
後悔を表している。右半身だけだったのは
暑さで蹴とばした毛布の上に右肩を乗せて
寝ていた寝苦しさからくるのか、はたまた
右半身を操っている左脳が文章を作るのに
長けていたという事実から生じた投影なのかはわからない。