ケッパーケイパーチリペッパー

なんかとなんかをつなげて幸せ

西洋ではよく兵士のおもちゃで遊ぶ子供の姿が描かれる

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

トイ・ストーリー」にも「ナイトミュージアム」にも大量の兵士のおもちゃの存在が確認できる


だけどあの遊び方がどうしてもよくわからない。
おままごとも人形遊びも大人にはわからないとは
言ってもなんとなく気持ちを汲んで「ちょっと幼稚だな」
くらいに軽蔑する程度にはわかるものだ。

だが海外にあるバケツ一杯分ある兵士のおもちゃを
使ってどうして遊べるものか想像もつかないのだ。




きっと一定のルールが存在するゲームだ


兵士には砲兵、銃剣、騎馬隊と種類があり
その役割を持った兵士が大体30体ずつくらいいる。

現代戦バージョンと南北戦争バージョンが主流みたいだ
豪華なものになると竜騎兵、槍、射手、石弓、カタパルト
やトラック、装甲車、軽戦車のように兵の種類は増えていく。


一見それら兵士達を買い集めることが目的であるかのようだ。
だが兵士は買われて、子供達が並べてはしまい並べだす反復
動作が行われるまで役割を終えない。
コレクションを目的とする玩具の場合、参考書と同様に
一度買われたら大切に保管されなるべく触ってはいけないのだ。

コレクションは愛でるもの。何度も並べるようなリスクを
冒すわけにはいかない。



つまりあの兵士のおもちゃ達は収集癖をくすぐっているわけ
ではない。

また、1人であそぶものではなく2人で並べ合い
まるで競うかのような言動のあるシーンも見られる。
並べ終えた後に「ちゅーんちゅーん」とか
「よし砲兵にあたったぞ」とか
これはきっと一定のルールが存在するゲームだ。


子供が想像して遊ぶものには明確なルールはないとはいえ
ゲームを動かす心棒のような了解規定が存在する。


それはまさに報道そのものである。

ごっこ遊びにはある共通の妄想があるものだ。

あのバケツいっぱいの兵士達を並べる行為と
戦って相手を倒そうとするその間には
きっと勝ち負けの線引きを曖昧にするための想像がある。

打って相手を倒したからと言って
決して相手の兵士をパタパタと倒さなければならない
という決まりごとはあの遊びには描かれていない。

戦闘そのものがまさに想像なのだ。
「倒された」ではなく「倒される・倒されたかもしれない」
というところできちんと考えが止まるごっこなのだ。

兵士は並び終えたとしても戦闘は始まらない。

いくら口でなんと言おうとも兵士達にとっては
状況がなにひとつとして変わらない
お前は死んだーと言われても兵士が無数にいるせいで
動かさない限りは言われただけにとどまっている状況なのだ。




兵士は並び橋を境に睨み合っている。
この後いったい何が起こってしまうのか
まだ起こる前にそれを予想し解説する行為

さながらテレビの気象予報士である。


並べた兵士の種類とその利点を活かした位置
近くしか攻撃できないのか、遠くからの攻撃に長けるのか
陣の組み方は何に特化したものか

その想像は尽きない。

あの大量の兵士を使った遊びは
戦場予想のごっこ遊びだったのだ。