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なんかとなんかをつなげて幸せ

きょおわ だにえるきいすのいなくなた ひだ

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今日はダニエル=キースのいなくなった日だ。
彼は今日ほんが かけなくなて しまった。
彼の書いた本は出てくる人が みんな 外国人なのに
日本でもテレビになっためずらしいやつでおもしろい

彼の有名な作品といえば「アルジャーノンに花束を」である

そう、彼はあの「アルジャーノンに花束を」の作者なのである。
私はそれ以外の著書を読んだことも探したこともないが
この一作は読もうと読むまいと名作であるといえる少ない本だ。


その理由はあらすじだけ読んでみて充分におもしろいと
言い切れるものであり、中身の特徴的な書き方があらすじを
ただ勇猛に想像力を掻き立てる。私はあの本を話し出すと
相手の顔色を窺わずにただ、話し続けてしまうのだ。

なにひとつとして話としてまとめることができないが
それでもその本について話し続けることができる。
これはただ「その本を読了しました」という状態とは違い
読み終わってもその本を読み続けているのと同じ気分になることが
出来ていると私は感じている。

本として理想形である。
この本を読んだのは中学の頃だっただろうか
横溝正史に出会う前だったので絵本や漫画以外の本であっても
本の書き方に意味やパズルに近い仕組みを使ってもよいのだ
とウキウキしていたのを覚えている。
その時に文章単位ではなく段落や章ごとに変化を重ねていく
本の書き方というのを知ったのだからまったく物わかりがわるい。

何冊も何冊もよんでいたのにどうして
文しょうを書くときの「作者がした工夫」に目を向けなかったのか。
あるじゃーのんに花束をはそういう苦い思い出もわたしに思い出させて
くれる。 そういえばアルジャーノンに花束ををしばらくはアルジャーノンへ花束をとゆっていた。 いまでもたまに間違える。

あらすじと本の書き方だけで
てんかいを除いたすべてを思い出させてくれる
本をおもいだした 時の感覚へ きょおみを 持たせてくれた
アルジャーノンへ花束を という本は
ぼくのふるい閃きを思い出させてくれた いい ほんです

さくしゃのひとが しんでしまた なんて信じたくない けど
それにぼくは 日本ごでしか よんでない
だにえるきいす さん が しんでしまたのは かなしい

ああいうほんが きっといっぱいあるだと ぼくはおもたけど
あまり あんまり なかたので ぼくわ ほんわわからなくなた

みんな ああして かけば いのに
ほんの なかで まるでえんぎして るみたい な 
かきかたする だれもいなかたなあ どして 
ぢのぶんとか はなしことばかり なだろう


さよおなら たのしかた です
さよおなら だにえるきいすに はなたばを


ついしん
あるじゃのんにはなたばをでも しんじゃったまうすにはなたばあげてた

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