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なんかとなんかをつなげて幸せ

「間違って覚えたものを消さない記憶法」

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エンドルフィン式記憶の宮殿
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多幸感を利用して記憶することを持続し後でその幸せだった記憶を思い出すことによって記憶を呼び起こす


偏見で正当化しようとする時、私は多幸感に包まれる
エンドルフィンの影響だエンドルフィンが出ると人は行動を無意識に持続できるようになる。
ゲームをやってて止め時がないとか本読み出したら止まらないみたいな状態だ。

そこで、そのやめられないを記憶をしはじめたら止まらないという体験に変えられないかと考えた。


エンドルフィンによってその依存した状態が作れるのなら、依存する対象を有益なものに変えてやればいいのだ
そこでエンドルフィン式記憶術を開発してみようと思った。

実際、エンドルフィンを出すことによって
記憶をすることができるようになるまでにはなったのだが
説明ができないことに気が付いた

考えの方向性を変えてやることを「記憶の方法」と
称しているわけだが”考えを変えようとする”という
考えが方向性を変える思考に邪魔になってしまう。

思考を操作するための思考によって操作が阻害されてしまう



だが同時にこれを打破する方法もあった。
説明を大まかにし、より近いイメージに置換して
それを正確な説明だと言ってしまうことだ。

これはいうなれば夏休みの計画を建てる際
既に”8月に入っているのに7月中の夏休み計画を建てる”
という操作が干渉している状態を「7月の予定をサボっていた
ので8月にその予定を消化する」と説明しているようなもので
不正確ではあるがその違いを知るのに冷静になって
夏休みという印象を捨てカレンダーの日数を消費する行為
としてぼかして考えなければならない拘束を作る。

エンドルフィンによる記憶術は
この考えを逆手に取る。

人間は都合のいい事実を記憶として溜め込みがちだ。
上の自己中心的な考えも”都合のいい事実”とそれを冷静に分析する考えがせめぎ合って考えが作られている裏付けである。

どんな言葉でも「乗り切れた」時と「乗り気ではない」時が
”冷静”と”都合のいい事実”のどちらの言葉を
頭に連想させるか対立していると説明できる。

エンドルフィンは「乗り切れた」時に快感となって
頭を駆け巡るのだ。 しかも記憶として残る。

残念なことにエンドルフィンによって蓄積される記憶は
「乗り切れた」行動を糧にまったく関係のない言葉を記憶する。

つまりディズニーランドに行って楽しかった記憶は
浜松町駅」という言葉とセットで覚えられる。

ディズニーランドへ行ったら電車で帰ってくる
だが実際の最寄り駅の名前は「舞浜駅」だ


”はままつちょう”と”まいはま”という
語感が似ていると都合よく思わない限りつながらない程度
の言葉同士がつながってそのまま記憶される。

精度が低い上に記憶したい単語に狙いを定めるのは
困難だが、この記憶は決して消えない。

消すのには決まった手順があるからだ。
このエンドルフィンで焼き付けた記憶は
思い出した後”間違っている”として
正しくない理由を考えてしまわない限り上書きはされないのだ。

もしも消したくないのに正しくないと思った場合は
その正しくないと感じた意見を否定する理由を並べ
その理由を元に記憶していた間違った事実を正当化することで
回避することができる。

大半の人間は”間違った記憶は正しくない”と消してしまうもの
だがこの間違っている知識は 興味のない最適化されて
消されてしまうような細かい区分を保存している。

たとえ間違っていたとしてもそれは
真実に近しい言葉によって構成された
”知らない”よりはよっぽど博識な状態なのだ。

これはあいまいなイメージだけがおぼろげにしかない
記憶を作り出すタイミングがどういった時なのか
を図るうえで重要な思考実験だった。
人が抱いている「なんとなく」を定量的に見ることができる
足がかりになるはずだからだ。
だがこの曖昧な「ぼんやり」とした都合のいい解釈達は
どのようにお互いつながっているのか全く分からない。

同時に2つの都合のいい事実を考える時は
決してそれを数えることができないことははっきりしているし
都合のいい想像は繋ぎ合わせる行為を「妄想する」と
呼んでいることだけはわかるのだが

都合のいい想像をいくつか合わせることで
「妄想する」タイミングを観察するにはどうしても至らない。