ケッパーケイパーチリペッパー

なんかとなんかをつなげて幸せ

かねてより疑問だったことがある。

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かねてより疑問だったことがある。
それは楽器を楽譜通りに演奏する際に
譜面通りの速さで正確にひくということが果たして
楽譜を見ながら楽器を弾いている時に行えていると
どうやって判断しているのかということである。

手塚治虫の遺作のひとつに「ルードヴィヒ・B」という作品がある
字通りかの有名な音楽家「ベートーベン」を主人公として
書かれた漫画だ。 同時期を扱った映画に「アマデウス」という映画
もあった。そのどちらでも「早すぎる!そこは8分音符ではなく6分音符だ!」たーんたたたんではなくたーんたーんたたんだ!という非常に
わかりにくい音の速さを指摘する。 モーツァルトもベートーベンも
どうやらクラブサンを弾きながらそれが楽譜通りなのかどうか知っている

だが実際ピアノを弾いている間楽譜通りなのか自覚したことは一度もない
小学校リコーダーを吹いているときからそうだ。
正しく曲を弾くことができていると良い気になることはあったが
一度も楽譜通りだと喜べたことがどうしても思い出せない。

楽譜だけでピアノに触らなくてもピアノの練習をすることが
できるはずなのだ。 楽譜を読んでその数学的な足し算の結果が
最終的に音楽のリズムとして曲を構成する。
音はその音符同士が別のものであるということを示すだけのものであり
決して曲を想像させるものではない。

楽譜だけから得られるものはなんだろう。

音感が0である人間が読んだと仮定すると
んっんー んっんー んーんーんーんー 

音階の上がる分量と伸ばす音の長さの数字を合わせて考える
すると和音が処理できない

両手演奏でそれぞれ全く別のメロディを
一本の弦で弾く時 どのような音階になるのか
それを読み取るのだろうか。

結局曲にはならないけれども曲と同じような情報になったりする
そんな記憶ができるんだとは思うのだけれど

曲を聞いたことがなくても曲がわかる なんてことがあるんだなぁ

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