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【生物学のあ】ミカエル=アーバークロンビー

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1912年-1979年父ラッセルズ=アーバークロンビー

イギリスの細胞生物学者。
オックスフォード大学を出てロンドン大学動物学教授になる。その後ケンブリッジのストレンジウェイズ研究所の所長に任命。



ストレンジウェイズ研究所といえば
東北大地震における福島第一原発の起こした事故への
科学側からの意見を述べたことがある。
その内容は非常に冷静で悪く言えばどっちつかず。
発表したものを要約すると「今回の事故は原発にとって大きく認識を変えることになるだろう」なんてことを
いう研究所である。

アーバークロンビーは教授時代培養された細胞のふるまい
についての研究論文を書き続けたことが評価され
晴れてこのストレンジウェイズ研究所の所長になった。

その後も精力的に培養された細菌を研究する。
シャーレの中の細菌は数が多かったり少なかったり
してどうしても思うように観察することができない。

細菌の観察をする場合に応じてシャーレを複数にわけ
観察方法別に培養しなおさなければならない。

彼はそういった不手際に興味を持ち続ける。


所長になってからは名前が先行されがちだ。
所長になる前のテーマと所長になった後のテーマを
比較できないため確証はないが、アーバークロンビー
は1953年ヘイズマンとの共同研究で
「細胞の接触阻止の現象」を発見する。




【小説としてのアーバークロンビー】

2歳の時に第一次大戦
27歳の時に第二次大戦
第二次大戦当初イギリスでは「クリスマスまでに戦争が終わる」という根拠のないうわさが流布していた。
彼はそういった周りの浮かれ騒ぎをどう感じる側にいたのだろう。流行りものだと覚めた目で見ていた?
それとも自身もその期待を隠せずにいた?

人当たりもよく会話というものへのコンプレックスは
おそらくない。近所付き合いや挨拶は彼にとって
なんでもない芸当だったことだろう。

だが自分が生きてきた27年間徴兵制度は存在せず
志願制として生きてきて、ある日突然兵役は
徴兵制に変わったとなればどう感じるだろう。

当時周りの人間は兵役に特別な憧れを持っていたし
それは今でいう警察への反感や憎しみを持った人間
と同じに扱われていたことだろう。
彼もまた、同じように徴兵制度に対しての覚悟は
ある。なるべく恐怖を感じないように死を無視して
他の兵士のように果敢に戦うのが当たり前の自分
を想定して生きていたはずだ。

一時停止の見忘れで警察に誘導される時のあの感覚。
それでもまた車を運転しなければならない自分への説得
それが彼の人生の基礎だった。

だからこそ大それた研究はしなかったし
それでいて決して無駄ではない研究を選んだ。

だから彼はクリスマスでの終戦を語る
生徒や街中での噂を聞くと気分を害した。
まるで一人取り残されたような気分になる。
言いようのない嫌悪感が彼の気を紛らわせるだろう。

彼はすんでの差で研究所所長となり
おそらく兵役免除の対象になる。