【じしょ】アーミテージ
人は苦悩の最中一人になる。
だが、喜んでいる時はそばに誰かがいつもいる。
誰かに話したくて仕方がない気分になるのは
見えないだけで誰かが隣にいるからだ。
見えないせいで人を探しに行くことになるのだが…
生きていることをどうにか言葉にしようとすると
こうして意味不明なことを並べて捲し立てる羽目になる。
ただうれしくてはしゃぐと言えばいいボーダーラインを
さらに正確に伝えようと細かい描写をするからだ。
それを超える必要は人間社会において不必要なもので
共感したか否かという確認動作を言語に置換しようとすることが
まさに芸術創作ということになる。
歩いているとか話しているという時の
その感じ、その時をそのまま知っている人に伝える時の
わかっている同士で確認する真の馴れ合いを形に残し
それを知らないものが違和感として愉しむ。
そういう彫刻を作るのがこのケネスアーミテージの作品だ。
例えば
「雨風をよけている時の自分」
周りが見えないせいか背景には自分と反対へ進んでいく人間しか
描かれていない。その彼らには背を向け顔はどこを向いているのか
わからない。
それでも雨を傘なしでよけようとした人間にはわかるだろう。
みな傘を持っている中で1人、傘を持たないみじめな気分を。
まるでなにも見たくないし聞きたくない。そうして蹲っている
姿を連想させる雨宿りは惨めを後で感じる自分そのものだ。
次の一歩を踏んだ時に感じるのかもしれないし、
作品の外に踏み出た後に惨めということに気が付くのかもしれない
作品のテーマに気が付かないその瞬間を彼は切り取って幾何学にするのだ。