タイトルの付け方を教えてあげる、と言われてもついて行ってはいけませんよ
たとえば音楽で新しく知ったことがたくさんあるとしよう
ハニホヘトイロハは上に上がる度に点が付いたり
長調短調は頭についたいろはから始まるのだとか
私はそれらをメモする時のコツのようなものをなんとか頭の中に作り上げた
それを使って自分の知識のデーターベースを作ってみようとしてみた
メモ1つに対するジャンル分けはこうだ
音楽のまとめを例にとると
〈題名〉は~ハ長短調それぞれの特徴
中身は長調短調を聞いてみた時の特徴をそれぞれまとめていく
ほぼ感想文である
正しいことはなにも書かない、聞いた時の自分の記憶を
そのまま書き留めるのだ
重要なのはそのまとめるための骨組みである
〈骨組〉トからイ長調におけるは~ハのずれ込みの規則性
感想の規則性に基づいた長調短調をそれぞれ思い出せる
ように細かい違いを理由づける
それを否定する半音と全音の概念を横に書く
(2つは相互関係にあるが感想に規則性を見出すと
それは見えなくなってしまうため 補助として)
曲と長調短調の関係
または長調短調のみから作られる曲の規則性
という具合である。 ここに書かれているのは例である。
手法はとても口で表せるような状態にない。
フィーリングとその否定の繰り返しによってつくられたメモ
それが正しい脳のコピーライティングだと私は思う
さて、このブログはその脳のコピーメモでも書ききれないものを
埋めるための砂利になってもらおうと思ったのだが
砂利の大きさがどうしても定まらない。
上記メモを書き足し続ければその瞬間考えていたことを
もう一度思い出し頭に再現することが不完全ながらできるようになる(足りないのは反射思考の保存だ。無意識の第一印象だ
言葉にできる第一印象ではなく、忘れられていく記憶の事)
それでも残念ながら、メモとメモは題名の裏の意味によって
そのメモの中身を表している。
題名は常に正確なメモの中身ではなく正確なメモに対しての印象を
綴るものである。 だから題名を書く際は決して文章を読み直してはならないし 記憶をたどって書かれた文章にない内容をそこに
付けなければいけないのだとぼくは思う
題名はその文章のリーダーのようなものだから
そんなことは決してあってはならないと思うのだが
残念ながら文章ごとの整理ができたとしても
その文章の内容を頭に入れる際の妨げになるというのなら
その題名のつけかたへの猛りはどぶに捨てるしかあるまい
よって題名を読む際には文章を読むのではなく
その題名に書かれている一番初めの印象がその文章の内容に
なっていると思われる。
「とある科学の超電磁砲」だったら電気だろうし
「カウボーイビバップ」だったら酒場だろう
だがこいつらは内容が長くて分散してるからあまり良い例にはならん
もっと内容が薄くて題名が長ったらしい奴をさがすのなら
「〈題名〉は~ハ長短調それぞれの特徴」なら音楽
ここだろう
ともかく、言葉を作ってしまわざるを得ない情報集積体は
大抵情報の欠落がある
音楽だったらいきなりレーザー光線の作り方を知りたいときに
どうつなげたらいいのか一瞬ではわからない
無意識の第一印象はまったくもってそれらを見てくれないからだ
レーザー作りたい!!→音楽!→波長と周波数!
とは決してならない
なるときもあるが、それはレーザー作りたいじゃなくて
たぶん調整したい!だろう
レーザーの作りすぎで脳がおかしくなってる人間が
音楽聞いてる時にこの間みたステレオミキサーかなんかを思い出して波形を連想しレーザーが作りたくなったに違いない
メモの頭につく言葉と言葉
その間は 常に想像が付きまとっている
結果を書き材料を主人公にしてそうなった経緯は決して書かない
そういう書けない想像を埋めるためにこのブログを妄想日記にしてしまおうと思う
普段書き留めないからとてもとても大変である