ケッパーケイパーチリペッパー

なんかとなんかをつなげて幸せ

ドリルのてっぺんは常にちょん切れている 金属なのに柔らかそうに

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輪っか、丸、円というものは遠くから見ずに
適切な距離を保ってみると美しい

黄金比もそうだ

円は落ち込んでいくようで進まぬワイン抜きのような閉塞感

黄金比は限りなく続くがいずれ消える理想論のような味わいだ


こういった単純な図形を数字で表したようなものは
同時に言葉を単純な図形で表すことができるわけで
僕らはそれを自覚せずに関連付けもしない

ただ私以外の誰かは同じものをみて黄金比だと押し付けてくる

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ドリルは美しい
上に伸びているように見えるくせに
ひとつも上には伸びていかない

あの美しいものを他の物すべてに置き換えてみたい

なにを見ても理路整然とドリルになっていればいいと思う
きっとすべてが自分よりも正しく見えることだろう


文章の構造というものがある
章、段落、文からなる見た目は縞々模様の何かで
言葉 記憶 感覚から縞々が物語になる


普段の縞々は動きもせずバラバラで
突如として悲しくなり いきなり登場人物が好きになる
設定にわくわくして と思っていたはずなのに
さっきまで笑ってたのに急に次が気になって止まらない
なんて思う


ひとつも美しくない構造である

そもそも文章を読むのに連続性がそこにはない
あるのは本を開く腕とめくるページと縞々模様だ

本を構成している連続は内容にかかわりがない

なにも本の内容ごとに本の見た目が変わることが必須だとか
言い出しているわけじゃない
それは確かに本の体裁と中身が連動したことになるだろうけど
本の体裁から本の中身が読み取れるようなものでなければ意味がない

実現できたらそりゃいい
とか一瞬思いはしたが、それだとシリーズ物がものすごく作りにくい

たとえば安楽伊豆探偵シリーズとかだったなら
クイズと温泉と血と死人が内容を示す本の体裁だが
(文字が全部血で書かれてて素材は包丁 においが硫黄みたいな)
安楽伊豆探偵シリーズである限り
それはずっと同じ体裁である

暗殺教室のように1~8までで色が変わるだとか
1~7までで七つの大罪を示すとか
工夫はいろいろあるのだろうが
結局のところ情報はシリーズの巻数を表すことが決まっている

またこれだ
また情報が途切れてしましまだ

シリーズ物であるかどうか知らなければ
その本が何冊あるのかわからない
1冊かもしれない

必要条件と必要十分条件の事を言っているのだが
たぶんとってもとっつきにくいだろう

伝言ゲームはドリルである限り起こらない
文章の絶壁が伝言ゲームを引き起こす

どこから読み始めても
どんなところで読んだとしても
例え親が死んだ時でさえ忘れさせて心の底から笑わせ泣かす
同じことを常に思わせる文章という構造が欲しい

文章をしましまと私は言ったが
一番初めの縞々で作ったドリルが理想形なのかもしれない