すべてを保存する
保存形式が存在するならなんでも保存することができる
とは裏返していうならば保存形式が存在しない限り
それを保存することはできないということである。
つまり横断した表現がほぼ無尽蔵に禁止されているということに他ならない。
まとめた出来事というものが常に内部へと向かうことになる。
そこはすべてが閉鎖的になる説明のみを行う場所と化すのだ。
すべての保存とは彼が何を言おうが保存される関連事実の集積である
つまり情報の偏向を許さない。
数字を打てばその数字を出した根拠が
言葉の羅列をすればその分類を継承した差異が表記される
名前を打てばその言葉の年代や売上やページ数がそこに表示を免れず
抑制することでしかその内容を消すことができないわけでなければならない。
情報の抑制としてならば文章というものは非常に使いやすい
ただ単に、情報が散漫している状況とはよく似たものがない。
疑似的に情報が情報を呼ぶ状態を作ったとして
それの無期限なる説明の連鎖が表示スペースがないことによってのみ
規制されるのはあまりにもしょうもない気がする。
とはいえおそらくその規制で正しく動作するのだろう。
並べれば規則性が存在するようになる
その規則性にタグをつける
タグの一致した規則性を同時に表示する
規則性に対してのタグ付けはその直前に行っていた規則性に準拠する
規則性の保存方法が単純すぎる
並べたものと規則性として保存されているものの観測点の共通化