なにもないすら無い←読みにくい
感じたことを寄せ集めても決してその現実を再生することはできない。
文章に意味があろうがなかろうが長文のレイアウトによって
それが細かく推察された注釈なのか駄文なのかが決まっている。
だが片一方では文章を読むことに時間を囚われることに快感を覚えている場合で
レイアウトがどうであれまず文章に目が行く。
人は単純な考えに縛られる。
どちらも支離滅裂一歩手前の視点であっても
絵か文か そのたった一言で別れる。
そのことに気が付き我に返っても絵と文どちらかに注目している自分どちらにも
共通しているものがあるような気がしてならず 考えから離れることができない。
そのくせ行動そのものをやめようと考え同時にただ画面から目を逸らすことをするだけでも
絵と文という単語と同じように継続か中断かという言葉でわけられる考えに縛られていると気づく。
それでも曖昧で誇大な単語に注意すれば人生を思うまま喜怒哀楽変えることができると思えば
しばらくはそんな気がしているだけの日々が続いてなぜかできないことに後で頭を抱えるのだ
やったね!文章の移らせ方が微妙に 本当にびっみょーにつかめた様なつかめてないような気になったぞ!