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なんかとなんかをつなげて幸せ

【理化学】アインシュタイン

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みんなが憧れる天才と呼ばれる現実を知った人。
正直どんな気分かわからない方が楽しいので
この人はきっと不幸。 妬みですが。



スイスのチューリッヒ大学で学び
その後、特許局技師になる。

1905年特殊相対性理論を発表し
それと同じ年に原子核の存在を証明した。

今までは間接的な証明で「ないわけない」
くらいだったのを「あれはもしかしたらこれ」という
証明が原子だった程度の直接証明に持って行った。

そのついでで別の法則も検討してみたら
光量子説に至った。例証として光電効果を説明。


このさっぱりわからないの全部を
さらにさっぱりわからないなにかに
さっぱりわからない同士の片手間で
研究した1年間を過ごせるヒトだ。


プラハチューリッヒベルリン大学で教授をやって
アイリングが研究員になって1年でやめたカイザーウィルヘルム物理学研究所の所長として招かれた。

彼も量子論は得意だったのに研究員止まり。
しかも早々にやめているということは
この所長とソリがあわなかったに違いない。


彼はその後も量子論をどうにかして
より単純にまとめ量子の性質でばらけたものを
1つの法則によって説明する努力をし続けた。

結局実を結ばずに亡くなった。

彼は自分が分析されるのをことさら嫌がっていたそうだが
なぜかその脳は保存されている。
同じく自らを分析されるのを嫌がってはいたものの
そのことを口には出さなかったフロイト先生は
なにもされちゃいない。

まさに雉も鳴かずば撃たれまい。

こうして経歴をみると
彼の性格は知性以外単純明快である。

研究に対しては常にまとめたがり
事実を客観することに異常な執着がある。

また、処理能力の高さから
集中してつい周りが見えなくはなるが
決して忘れているわけではなく
わざとそれを除外していたのだと思われる。


つまり怒りっぽく性格がころころ変わる
その癖人当たりは決して悪くはない
時間による興味の遷移がそのまま
考えにでるフレームの持ち主だったといえる。