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なんかとなんかをつなげて幸せ

記事に則した画像を選ぶ方法論

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なるべくドキドキする画像がいい それが間違いだ。


記事には画像が必要です。
なくてもいいと思うけれども
文章だけで読ませるなにかを書ききってみたい
そういう願望だけでとどめることは大人らしい。
それで画像を書いた文に貼ってはみるけれど、ちぐはぐで
この世界はどうしてこんなに灰色なんだろう。

まるで自分は抜け殻で本当は死んでいるんじゃないかと感じるんだ。仮面をはりつけた顔は既にぐずぐずに崩れて紫に萎んでいる。

こんな世界…もういらない

みたいな壮大な気分になる。
今にも曇天よろしく天井が崩れ落ちる動画的に楽しい
状況が起こりそうだ。もれなく顔はイケメンになる。
そしてメカクシとかをする。

画像を探す際に工夫が存在しなきゃ許されまい。

画像は文章につくものなので
普通は文章を書き終わってからそれに似合うものを
探してあてがう。


普通 文章にあった画像が貼られているとはいえ
書かれている内容と
そこに貼られた画像とが
まさにぴったり合っていると感じている自分は
いつもどうかしているに違いないのだ。

だってただの画像見て
それをなんでもかんでも記事と関連付けてる
だなんてそりゃもう妄想の他なにものでもない。

生活している自分を観察する限りはそんなを兆候
みたこともないのに私は記事を読むときだけ
記事内の物を記事と関係あると決めつけて読んでいる。



いうなればこれは「買い物をしに行った人間」が
安売りに間に合うように急いで電車に乗っている間
見た人間全員を「今日はいつもより電車がこんでいる
 安売りを目当てに客が増えたに違いない。 こいつら
全員私を同じ駅で降りるんだ」と考えている状態だ。

買い物時の軽いストレスは購買意欲

   記事を読むときの軽いストレスは内容把握意欲


記事の画像には購買意欲が含まれているのだろうか。
もしくは占有欲とか支配欲みたいなそういうのが。

支配したいと感じる心はその支配に時間制限があると
大抵急いで解決しなければならないという心境が
働き始める。 ことこの場合には自分の心情内だけで
物への支配が制限人数への支配欲と同一化を果たしている
せいで起こった陰性転移で攻撃的になっている。

ああつまり、画像選びに転移を起こさせるような
工夫が読みやすい画像を選ぶブログには
含まれているのだ。

潜在意識を服従させるとはまったく罪深い。
私もやろう。


安いから買わなきゃいけないがいつのまにか
買い物客はみんな自分と同じものを買おうとしている
に心の中身が代わっている事。

これは気に入った同じ性別の人(アイドルでもアニメキャラでも)
に対して「あの子と同じ!」になりたくて真似をしてしまう
厨二病の健康な状態「同一化」とよく似ている。

本来同一化は他人に行う事がお仕事ですが
軽いストレスにさらされている場合には
それを自分に向けてしまうことが起こりうる。
この時人は口唇期に退行しているわけだが

記事の内容を知ろうとする自分が画像の内容を知ろうとする
自分へ同一化する状況も同じく投機同一化(クライン)に
よる口唇期への退行を誘わなければならない。





あとは知ろうとすることへの同一化を促すだけだ。
例の同一化は電車に乗っている間考えが進んでしまい
「買わなければならない」が「物が少ない」
だから「人が少なくなければ」に代わって
同一化を果たした。

記事の場合ならば材料は大体
「画像が関係ある」「記事を読みたい」「画像も読みたい」
この3つに無理がない状態が同一化だ。

買い物の例に当てはめれば

記事を読んでいる間に考えが進んでしまい
「記事を読みたい」が「画像が関係ある」
だから「画像も読みたい」に代わって同一化する。

画像を言葉にしようとした時に
曖昧ではなく固有名詞が言える画像であり
その固有名詞が記事内に出ていることが
条件ということになるだろう。

例えば

【防空気球】
f:id:takasaryo:20140424111545j:plain

とか

【H2ロケットエンジン

f:id:takasaryo:20140424111543g:plain
とか!

また「固有名詞」は言い換えを必要とするものがある。
例えば記事のテーマが細かくて「ナットの締め方3種類」
とかであれば「ナットが乗っているテーブル」が
同一化の限度になる。
画像を占める割合がナットではあまりにも小さいためだ。
どれだけ寄ってナットを写しても違いがまったくわからないので
結局注目は机に行く。


記事上とタイトルに何度も出てくる「固有名詞」の
画像であること
そしてその画像は記事上の画像全部同じテーマで統一する
ことが条件だ。



言葉は聞いているけれどそれを想像することができない
という軽いストレスを画像がそれっぽい!に変える同一化や
読んでいる記事の固有名詞を蓄えている思考に
その固有名詞の画像を与えてやることで記事と画像の
同一化を計るといった様々な種類の同一化を
見込むことができる。


条件があまりに多すぎる。

記事を書くときには「好きな固有名詞」と「まとめたかった内容」
を決めてから書けとでも言うのだろう。
そうでもしなければ画像は記事と則したりは決してしないのだ。