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なんかとなんかをつなげて幸せ

ゲームと映画と映画とゲーム 映画のゲエムとゲエムの映画

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ゲームのボスがいるというシステムは
映画作品のストーリーラインと密接な関係を持っている。


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映画の勧善懲悪を描くフラッシュゴードン式の作品は
大ボスがいてその後ろにボスを支える支部のボスがいる
支部のボスに使われている大したことのない悪役が
自分に喧嘩を売ってくる主人公がヒロイックに目覚めるキッカケになるのだ。

だが映画を見ている時 見ている人間は決して
どれだけ倒せばエンディングになるのかを知らない。

映画の歴史は
常にそのとめどなく出てくる悪役を倒し続けるヒーローによって
エンターテイメントを支えられたといえる。

実際キューブリックスピルバーグが出て来る前
アイザックアシモフやHGウェルズによる地球を舞台としない
SFの登場まで、映画では敵のいない作品は
ストーリー以外の売り文句がなければ誰も見たいと思わなかった。

実際ジョルジュメリエスの「月世界旅行」やレイレリーハウゼンの「アルゴ探検隊」
は特殊撮影とストップモーションアニメによって作られる
未知の世界が目当てでしか客はこない。
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「AI」や「2001年宇宙への旅」「アイ・ロボット」「タイムマシン」
ガリバー旅行記」「不思議の国のアリス」のように
敵を倒すことを目的としないあてどもない旅の最中に遭遇する
さまざまな人々のドラマを愉しむ裏設定を読むことを目的とした映画で
人を呼ぶことができるようになったのは映画史上の転機ともいえたのだ。


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ターミネーター」のバックストーリー(未来で何が起こっているのか)や
「エイリアン」の生態(エイリアン同士ならどんな生活?という疑問)
インセプション」の浮遊感(見ている間は現実で時間が経っていないんじゃないか)
マトリックス」では自分を見ている機械の存在
挙げればきっとまだまだアイザックアシモフ式の非勧善懲悪ストーリーラインが
見つかることだろう。 だが、それらは「スタートレック」が作られた
ごく最近のSF作品であっても「ローンレンジャー」の宇宙版という
勧善懲悪の影響を受けた暗い影が覆っているのだ。

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フラッシュゴードン式ストーリーライン(勧善懲悪)と
アイザックアシモフ式ストーリーラインとの戦いは
無声からトーキー、白黒とカラーの映画の次に始まった
生きる限り続くエンターテイメントの縄張り争いの一部。
その争いはあろうことか
本来ならばゲームか映画かという所で争われる予定だった
家庭用ゲームのストーリーでも戦いを始める。


ゲームには2種類
8つ程度に分けられたステージ(村、森、河、毒沼、廃村、街、火山、敵本拠地)
を進めていきボスを倒して次のステージに行く
そのステージのボスも倒しボスを倒し続けた結果
敵の本拠地へとたどり着くステージ制のゲーム
「俺の屍を越えて行け」「ロックマン」「魔界村

ステージはなく目的も複数ある
育成や探索、生活することを目的とするゲーム

「たまごっち」や「がんばれ森川君2号
ロマンシングサガ」「ガンパレードマーチ」「アクアノートの休日
「太陽のしっぽ」「アストロノーカ」「三国志
という二通りに分けることができる。
PS,PS2時代ではFF12が出た時点で「スターウォーズファントムメナス」
が公開されていたわけだから映画史から見ても
とっくの昔に勧善懲悪から対称性の破れが発生していたことになる。

ゴードン式(自由度低い)
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アシモフ式(自由度高い)
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だがPS2のソフトが出なくなった時点をもって確認しても
これらボスの存在しないアシモフ式ゲームは
ゲーム売場のアクション、RPG、アクションRPGといった
カテゴライズから大きく外れ「アドベンチャー」や「その他」の
棚にバラバラにされて入っている程度にしか作られなかった。

PSP,DS,PSVという携帯機が市場の中心になった頃
アシモフ式は完全に死に体であった。(モンハンはたぶんゴードン式だ)
                 (どうぶつの森ラブプラスもステージ式だー!)

受けたシリーズだけが次々に
続編という名のリメイクを出し新しいアイデアの物は作られない。
だが、「箱庭」という言葉がアシモフ式に光をもたらす。

高スペック家庭用ゲーム機による「箱庭ゲーム」の登場である。
マイクロソフトから発売されたXbox360
PS2の後継機としてソニーが発売したPS3の両機種の販売競争も
話題の安定に一役買って「箱庭ゲー」は一本で長時間遊ぶことの
できるゲームで無意味にあげられたスペック競争の焼野原を
無駄なく使った家庭用ゲーム機のためのゲームとして
ユーザーに受け入れられていく。

「グランドセフトオート GTA」「オブリビオン
「フェイブル」「プロトタイプ」「アサシンクリード
だが、箱庭ゲーはゲーム先進国とされてきた日本の
ゲーム制作力に疑問を感じさせることとなった。
日本製の箱庭ゲームがひとつも出てこないのである。
箱庭に近いものであっても「ゴードン式」から
どうしても抜け出しきれない。

しまいには「日本は箱庭ゲーが作れない」とまで言われてしまう。
それでも大手ゲーム制作会社は箱庭ゲームを出そうとはせず
今までの人気シリーズをHDリメイク、携帯機用にリメイク、続編という名のリメイク
という戦略を辞めずにつづけた。

そしてゲーム史は金儲けの泥沼「スマートフォンゲームアプリ」の世界へと
足を囚われることになる。 カードゲームとキャラクタービジネスの温床は
いやがおうでもアシモフ式の世界。

パズドラでは自分の好きなキャラクターを出すためだけに
ゲームを続け、クラッシュオブクランではランキングを上げるため
だけに他の村を襲う。キャンディクラッシュではCMを見るたびに
ゲームを付けるというパブロフの犬たちがプレイしプレイストアをみれば
同人レベルのゲームとゲーム会社のゲームさらには老舗のスクウェアガンホー
それら今までのカースト最下層たちと肩を並べてランクを上下している状態だ。

アシモフ式はゲーム市場において
このままパラダイムシフトを待つことになるのだろう。
きっとまたゴードン式に手柄をかっさらわれる。

映画界では華やかなアイザックアシモフ式だが
ゲーム界のアシモフ式はどうしてだか
不遇な位置にいつもいる。

未来のゲーム像として挙げられる
没入型というゲームは(SAO,.hack,ログホライズン)常に
目的の複数ある自由度の高い
現実と比べてできることの相違のないものばかりなのに。