パンクラチオン
関連とは関係のない二つのものをくっつける動作の事をいうのだろう。
だが残念ながら関係のないことであると思うことができる頃には
関連付けることができないものだと断定した頃である。
ところがどうだ。我々は関係ないものを2つくっつけることに成功しているではないか。 関連付けたからこそその2つは関係のないものだと
そう感じているわけでもないのにも関わらずだ。
関連付けというものをなんとか事前に取捨選択したうえで関連付けできないものなのだろうか。人間の構造上それは不可能だという気がしてならないが、なんとか関連付けしたいものを関連付けしようと決めてから関連付けに踏み切りたいものである。 関係がないと知ることができたものだけを関連付けてそれを記憶したと時刻まで刻銘に覚えている。
機械を彷彿とさせるが忘れよう。私は人間が時刻と記憶のタイミングを記憶したのであって機械のソレとは全く違う。そこには感情が存在したままで記憶を行う。
そういえば言葉には印象を常に感じることになっているはずである。
なぜかなにも感じないものも存在しているが、私の中でそれは
曖昧と曖昧の重なってできた言葉に対してのみ印象が存在しないはずだ
という考えの上にある。 要は理解不足の考えだということだ。
友人の隣にいる人間という記憶とお面の下にある顔という記憶の
位置情報のようなものがそれぞれ同時に反応する事によってできたような「友達で隠れて顔が見えなかった」みたいな感じの遠い関連である。
その印象ならばもしかしたら2つは関連付かないという考えを
通過するかもしれない。その印象上で関連付かないと断定したものを
否定して関連付ける言葉を見つけるのだ。
印象からものを思い出してその印象に当てはまるものを並べて
絶対に関係ないと言えるものをくっつける…
たとえばカレーな印象だとしたら
【青髪メガネ】【インド人】【黄色】【辛い】
全部関係ないように見えるしカレー関連だとしたら全部関連付いている
つまりこれは失敗だ!
とんでもない間違いだ! 全部やり直し
そういえば3回記述ルールを適応はしてみているが
なんというかわかりきっていることを何度も何度も解説しているミステリーを思い出すなぁ。 さっさと先にいけとずーっと思いながら読んでいた気がする、誰でもこれは思いつくらしい。 改善がまだまだ必要だ。