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なんかとなんかをつなげて幸せ

書きたいことが読みたいせいで書けない

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photo by Matt Niemi

書きたいけど書くより読みたいけど書くのも楽しい
でも書くことより読んでいるほうが捗る。

例えば書くことは自分がいかに偉いかを
書き留めて置く為にするわけだが、
自己欲求を満たすことを目的としたこの作業は
どうしても新しいことを吸収できない。

頭が本当は悪いことを知っているが
それでも書きたい衝動は治まらない。
実際は書くよりも読んでいれば
書いているよりも自分が少しはましになると言えるだろう。

だからいじけた性格の僕は書きたいけれど
「書くため」に読もうとして
読んでいることを書く前の段階の作業だと
思い込んで読むという「書く作業」をいつもやっている。


読む作業が終わらない限りその次の
読んだことを書く作業に持っていくことができない
から、僕は書く前に読み続ける。

読む作業は永遠に終わらず、僕は書かないで死んでしまう
ことになるわけだ。 

僕にとって書く作業は自分が偉いだろうと相手に必死に
教える醜態そのものなのだから書く作業さえしなければ
僕はずっと傲慢じゃない礼儀正しい人間でいられるわけだし
それはそのまま読み続ければいいんじゃないかなと思う。

けれど、すべてを読んで頭に入れたまま
保持しつづけることを人間はできないわけで。
僕は忘れないためにメモを取る。

僕はメモなら誰かに見せるためのものじゃない。
これは書いていることにはならない、と考えている。
だからメモを書くことはやめないで続けても僕は礼儀正しい

安心しきっている僕はメモを取る量を増やそうとする。

思いついたことがまとまって説明して書きたいことが
一言につながる構造になったタイミングだけではなく

その前のつながっていない考えをメモにしてしまえば
メモを並べることで頭でやっている”一言につなぐ”
という作業を机でただ並べてみるだけで一枚のメモに
なるというアナログなパソコンを作ることができる
じゃないかという妄想にとりつかれていく

メモを必要に駆られてとるはずがメモを取ることが目的になった。

目的となったメモをとるために気を付けることという
記憶は僕の中で”メモをとる”と”ただ書く”の区別を
つけられなくなる。
”ただ書く”こともメモを取ることが目的になっている
ために目的の一部として日ごろから探しだす。


小説を読んでその書き方がどうなっているのか
ちょっとでも考えると実際に確かめてみよう
という好奇心は”ただ書いてみる”ということを
気が付かないうちに実行してしまうことになる。

これは”ただ書いてみる”が目的と混同されている僕には
非常に危険な行為だ。 

文章の書き方は単語を並べてみることで
実証することはできない。 また、それを禁じている
ということも僕は誰かに見せる文章でないならいいと
曲解したまま覚えている。

文章の書き方はこの後”ただ書いてみる”行為とつながり
を持ち、文章を書いてみようという試みを頭にうえつける。

文章を書くという行為はあまり自覚はしないだろうが
大抵の場合誰かに読ませるために書くことになる。
自分だけで済むのなら頭の中の文章を単語だけで表記か
忘れては思い出し危機感を煽って忘れないようにし
というのを繰り返すことで記憶を保つ。

わざわざ主語をつけ 述語で閉じ
その文を接続詞結んでいくのは
ただ記憶するということにおいてはとても特別なことで
それは大体人に読まれてしまうからという理由からである。

私は文章が人に読まれるために書く行為であることを
すっかり忘れ、小説を愉しんで読んでしまった。

文章を使って相手にどのような考えや感情を
作ることができるのか、自分を実験台にして
手法を考えまとめてしまったのだ。

そのあとはいつもの通り。
僕は文章を書くことがやめられないでいる。

今回やめないで書き続けている理由は
”ブログは過去の記事を積み重ねることで成功する”という
表題をネットで成功する人しない人とかいう本で
チラっと読んだのを覚えているせいだそうだ。

ちなみに文章の書き方の実証はまったくうまくいっていない
そもそも書き出したが最後、頭の中身をそのまま
打ち出していってやろうという考えでいっぱいに
なって冷静でない文章と熱くなった憤りを
そのまま書いてしまっているのだから当然だろう。

積まれていくのは次に文章を書くときに
これを気を付けようなんていう推察ばかり。
しかもそれがぞんざいに頭に放り込まれていく。

これを読んでそれになにか悪い事でもあるの?と
感じた人も気をつけたほうがいい。
やらなければならないと自分で指摘した事は
あとでリストにするために思い返さなければ
そのまま忘れ、同じ状況に立ったとき
間違いを違う言葉で繰り返すことになる。

こう書くとバカみたいだ。
実際バカだ。
この記事だって書かなければならないが
文章を書くことよりも読むことを優先してしまいそうに
なる自分が抑えきれないという趣旨だったはずだ。

それが今文章になるころには文章を書くことは悪いことで
日々関係のないことをして気をつけてもふとしたことで
文章を書き始めてしまうスクリプトジャンキーみたいな
内容になってしまっている。 

しかも書いていることが実は書きたい事とは違う
文章を書きたいという動機から我に返る様子が
文章になっているなんて伏線付だ。

あー文章では頭が暴走しっぱなし。