ケッパーケイパーチリペッパー

なんかとなんかをつなげて幸せ

冷静沈着にも似た凍りつく時分

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

打算による行動と考えるのが2度目である考え

感覚と言葉はそのふたつによって芋づる式に説明することができる
たとえば卵を買いに行こうしている人間がいた


それは遠目からではわからない
一目見ただけではただ歩いている
目的地に向かう人であろう

服装や態度顔によっては通勤途中に見える
友人の家に遊びに 待ち合わせに遅れるとか
この見え方の具体例を並べている部分が
まさに打算的な行動だと言える

これは具体例を出そうとしている打算だ
本来考えの中では曖昧になっているものだ

打算の自覚は緊張感につながり、緊張している限りは決して思考がループしない。私のは目先の考えに囚われ続けるループであったらしいから
この対策でなんとかなった。私は打算的である。
思ったらすぐにそれが真実だと思い込んでしまう
絶望することが全き真実としたのは、打算の否定は希望的ではないからだ。 なにも信じることができない。なにも信じない。
こういう考えもいいかもしれない。なに、どうせ油断すれば私は
希望的観測にすぐさま飛びつきなんだって信じてしまうだろう。

それに信じることができないのはその考えが一度目だった時だという
だけの話、もしも同じ打算が目に入ってくればそれを信じることができる

信じない信じないと言い続けてどうにかこうにか無視できるのは
思い付きや突飛な発想だけであるのだ。
それだって結局一度は考えたことになっている。
思いついた突飛な発想を信じてやらないだけならば、自分からその発想が消えてなくなることはない

イメージはドロの中を這いずるハゼだ。
水が冷たいだろうから完成度は低いが