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【じしょ】アーバニズム

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社会学
ゲームにしたいゲームにしたいゲームにしたいゲームに
してしまいたーい

アーバニズムとは社会学(行為行動相互作用というミクロから家族、集団、社会現象などのマクロ)の反応を
基に実際の現象を説明しようとした試みである。


源流はルイス・ワースが広めた都市によって
起こる生活様式の変化の羅列。

社会学は人間の生活方法と個人の関わりから
都市の中でおこらないことを反転させて文章にする。
つまり都市では起こりえない事実の反対
(例)
コーヒーポットは宙に浮かない
 ↓
宙に浮かないコーヒーポットがある

間違っているもののない事実を集めることができて
かつその事実が都市という大きな単位であるという
メリットを持っている。

都市に起こる事実がわかったのだから
社会の全体の中で大部分を占めた都市という勢力が
増えれば国も海を隔てた世界も無関係に
都市的生活様式を最低限クリアしてしまう。

そこから都市で起こり得る常識が
都市以外で賄われていた機能を
食いつぶして殺してしまっているのだという危機を示した



すべてが都市になると

相対的変化に鈍くなり、個人同士の区別が曖昧になる
家族との関わりは少なくなって 自発的集団が増える

頭を使って働くものが増える それでいて何事にも無関心
道徳心が薄れ 伝統を間違って解釈する。


ということが起こり出すというのだ


Twitterそのものだと思う。
だがtwitterそのものだからってワースが
シカゴ学派アーバニズムが正しいと言えば
二の轍を踏む事になってしまう。

twitterのような集団が複数いれば
社会は全体はまさにアーバニズムの危機を
現実のものとされてしまう、わけじゃない。

都市の危機が複数存在することで
世界がまるまる都市になるはずだったのに
どうだ、twitter程度に納められた。

twitterが数百あったところで
それを統合する別の媒体で
世界そのものが無軌道無関心になることは
あっても決して現実は変わらない。


ワースの都市的生活様式から導いたアーバニズムは
有名になるだけなって理論的な発展がなかった。

農村的生活様式という考えも今では時代遅れだ。

その後シカゴ学派のアーバニズムは体系的に
論じられることになる(中身無視って意味)


アーバニズムは資本主義イデオロギーを持つ
都市のみに当てはまる定式であって
決して都市すべてがそういった傾向を持つわけではない。

アンリ・ルフェーブルやマニュエル・カステルによって
都市や国家を分類するための体系として利用されたのだ。



体系的は文字通り中身を見ない。
シカゴ学派のアーバニズム論の
人間生活と都市の共棲を抽出しようとした
姿勢は都市の主義によって変わる
とだけ論じるにはあまりにも暴投が過ぎる。

現在ではシカゴ学派アーバニズムに立ち返り
その警戒信号を脇に置いた再考が繰り返され
今後の深化した理論が期待されている。


私としては箱庭ゲームにしたら深化されると信じてる
きっとそう。
ロックスターかUBIがやるべき すぐやるべき