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なんかとなんかをつなげて幸せ

刑事アランバンクス

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この題名のせいで名作がなんだか埋もれている
刑事コジャックや名探偵ポアロ刑事コロンボといった
刑事物にありがちだと言わんばかりの名前を見ると
ああつまらない古いドラマなんだなと思い込む。

WOWOWで番組名をみかけた時私の心はこんなんだった。


実際そのころWOWWOWでやってた役職主人公名もののドラマは
おもしろそうでまったく面白くないなんとも腑に落ちない作品ばかり
だったからこのバンクスも吹き替えがあったからちょっと楽しみに
思ってた程度だった。 ヨーロッパのスウェーデンより下の地方は
どれもこれもネトネトサスペンスで腑に落ちないまま終わることを美徳
に感じる。 終わった?え、今終わった? 終わってないよね?
これだってこのあと犯人を銃で撃ちに行くんだよね?
エンターテイメントの犬に成り果てている私には
残酷な刑事の現実を描き続けるEU圏ドラマのラストはつらい物ばかりだ

だがそのエンディングに至るまでの心理描写には目を見張るものがある
まさに心理描写だ。
世界が広がったような心理描写を教えてくれる。
きちんと起きた出来事を言葉で処理しようとすると
まるで迷路に迷い込んだように同じところをぐるぐるとまわりながら進む。進むというよりは進ぬとか進むないとかだ。
アランバンクスもそういう小気味の良い心理描写のドラマである。

喩えてその映像表現を言うなれば最近のアクションを含む映画だ
例えば007やシャーロックホームズにも見られる
アクションとアクションの境目が早すぎるが故に見えないアクション
一瞬だけの表示の連なりによって構成される映像
スタートレックイントゥダークネス」にも見られるカメラワークだ
だらだらと1つを映すことはせずに
コンソールのボタンを押すと後ろから声が聞こえ
コンソールをいじっていた人間が振り返る
そこへ誰かがカメラの前を横切ってその人物へとカメラが移動する
移動した先には回り込んでいたさっきのコンソールに人間がカメラに入る

というような矢継早なシーンだ。
これを心理描写でアランバンクスは行う。
DVを繰り返す犯人が監禁強姦虐待の可能性が全部ある死体
と共に見つかったため逮捕された。

DVで虐げられていた被害者は自分は彼がいなければ生きられないから
と物音を聞いて心配する隣人を牽制する。それよりも私を心配するのは
本当に物音のせいだけなの?と聞く。そのうちDV男が死んでしまった。

病院で保護されたDV被害者は男が死んだことを伝えに来たバンクスに
「私のことが好きなの?」「もっと私と話したいからくるのでしょう?」
と聞くほど彼が死んだことを受け入れられないせいかおかしくなる。
DV被害者はは病室で再度見舞いに来た隣人に金をせびった。
隣人はなにも言わずにその場で小切手を渡す
DV男と不倫関係にあったことがバレていると思ったからだ。

DV被害者が偽名を使っていることがわかる
元の名前は有名な児童虐待犯の姓

彼女は虐待をする人間がよくわかっていた
なにをすれば喜びどうしたら心が通じるのか子供の頃に習った。
彼女は私が相手にさせるのだという。
彼女はDV男に虐待させ強姦させ死体を作らせた。
DV男と死体があの被害者によって作られていた。
自分はDV男に扱われていたと言い張る。
男と二人でロールプレイするのだ。
彼女は標的に声をかける役をするという。
男が主犯で彼女は脅されて手伝いをさせられていたかわいそうな被害者

だが実際には彼女が餌を持ったまま煽ってDVをさせている。

どんでん返しを1つ感じさせて終わらせるわけではない
重厚なサスペンスというのがしっくりくる作品である。

もちろんなにか別の刑事ものを期待したまま見ると
重苦しい、瞼も重々しい、はっきりしない、早く進んでほしい
という感想になるだろう。 実際古い題名だということに恥じない
古臭い内容だがやはり古いサスペンスは侮れない。

推理物においては古きものは真である
腑に落ちたサスペンスだがなぜか奮わない気がするやりきれなさが
アランバンクスと重なって見えて心地よい