ケッパーケイパーチリペッパー

なんかとなんかをつなげて幸せ

なにを勘違いしているのか自慢話しか話せなくなる奴

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絵をかきたいのに絵が描けない
描きたい構図も書きたい表情も

なにより描きたい印象というやつがまったく見えちゃこない

なのに絵を見て発想して嫉妬して
次絵を描く時はこういう考え方も忘れないようにしようと
そう思うことだけは人に売りさばきたくなる量できる

ぼくはたぶん始終怒ってるか笑ってるかどっちかに見えてんだ


絵による表現というものはただ表示したい場合
文章に劣るし使い勝手も悪い

携帯できないというのがなにより大きいだろう
人に見せようとするときも道具が不可欠で
なにより公開までにかかる道がスムーズでない


だから実際自分は絵の表現が最もやりやすく
真剣に伝えたいことがあるなら絵を使うという人間だったとして
外にいる時どうしても!と躍起になったとしたならば

たぶん路上にチョークで絵を描いたり
自分の事を知ってもらいたい時に
どうしようもなく伝わってないという感覚が払拭できなければ
きっと「僕実は絵描きなんだー!」と言い出し
絵を見せ興味がない人間が3人くらい居ても無視して続けるだろう



以前はほとんど気にも留めなかった人間像も
文章を定期的に書くようになれば気になってくる

こういうことを思う人は結構いて
よく書いてみては完結するようだ
この”気になってくる”

読者にとっては好奇心の音であり
以前にもまして多くの事に興味を持つことができたんだな
というほっこりした印象を持たせようとしてくるが

実際問題これは全然違ったようだ
今まで一瞬うざったいと感じて忘れたものが
忘れたいのに忘れられない

思い出したくもなくさっさと消そうと学習しない限り
よぎり続ける拷問的気になってくるである

最近私あの人の事気になってきて
なんていうのではなく
壁の隙間が気になってしょうがない
もはやホラーだったのだ


こんな気になってくるという状態を
絵で描きたくてしょうがないに置き換えたい

描けなくて怖い
そこに描けなくなることが含まれていないのは
どれほど幸せなことだろうか